眠りの森の花畑
2008-05-21
選択今日はめまぐるしい日だったな。僕は思った。気がつけば知らない世界へ来てて、アルスイールに出会って、予言を聞かされて…クリアラと戦って…正確な予言の中身を知って…。僕たちはあの後クリアラと別れてアルスイールの部屋に戻った。アルスイールは憂い顔のままだ。それも無理のないことだ。お父さんを助けるか、自分がこの世界に留まるかの選択を求められている。きっとアルスイールのお父さんは助けてもらうことを望んではいない。でもアルスイールはお父さんを助けたいだろう。きっと病気を治してもらうことを望んでいないお父さんを助けるべきか、悩んでるんだ。
「サヤカ、疲れただろう?よくあのクリアラと対等に渡り合っていたな」
ふいにアルスイールに言われ、僕は首を横に振った。
「僕なら大丈夫だよ。クリアラ、強いね。あれ、絶対本気じゃなかったと思う」
僕がそう言うと、アルスイールもうなずいた。
「お前を侮っていたか、クリアラにも迷いがあったのか…」
そう言って紅茶のようなものをすすった。アルスイールの部屋は広くて、立派なテーブルと椅子があった。僕たちはそこに向かい合わせに座ってお茶をしている最中だ。僕もそれをすする。いい香りがして、口の中に果物の香りのようなものが広がる。微かに甘みのあるお茶だった。豪奢なポットのようなものにそのお茶は注がれ召使のような人が持ってきてくれた。カップは紅茶を飲むときに使うようなカップだった。でもそれはいかにも高級そうな彩色がほどこされている。花をあしらったような模様のカップだ。僕の世界で言うところのウィッドウェッジのような高級感がある。真ん中には見たこともないような果物や、クッキーのようなもの、ケーキのようなものが盛り付けてある。アルスイールが命令して整えられたお茶の場は、高級感溢れる、ごくごく普通の家に育った僕には手の届かないようなものだった。僕はその盛り付けられたお菓子を食べてみた。甘みはほどほどで、とても美味しかった。
「こちらのものはサヤカの口に合うか?」
アルスイールはそんな様子を見て言う。僕はうなずいた。
「うん。すごく美味しいよ」
そんな他愛のない会話を交わす。既に蒼い月は沈みかけ、日が昇ってきていた。不思議なことにその太陽は二つが重なり合うようなものだった。カーテン越しに優しい光を部屋の中にもたらしていた。おそらく僕がここに来たのは夜だった。もう数時間が経っているけどアルスイールは眠らなくて平気なんだろうか…。眠そうな様子は見えない。あんな話を聞いて、眠気も飛んでしまったのかもしれない。でも体を休めないと…と僕は思った。
「アルスイール、寝なくて平気なの?」
その問いに、アルスイールは微笑を浮かべた。
「私は平気だ。サヤカはどうなのだ?」
逆に聞かれて、僕は困った。僕がこの世界に迷い込んだとき、僕の世界はちょうど昼時だった。確かにそろそろ眠気に襲われていた。
「うん…実はちょっと眠たい」
それを聞くと、アルスイールは席を立つと僕に近づいてきた。
「慣れない世界で疲れるだろう。食事をして湯浴みをして休むか?」
そう問われて、僕はうなずいた。するとアルスイールは鈴のようなものを鳴らす。するとお呼びですか、と外から問われる。食事の支度をとアルスイールが言うと、かしこまりましたと返事がかえってきた。そう時間も経たないうちに部屋の扉をノックされた。
「入れ」
アルスイールが言うと、様々な料理を台に乗せてそれを押してくる召使が現れ、すばやくテーブルの上は食事の支度が整われた。お茶のときに用意してもらったお菓子や果物を中心に様々な料理が並べられる。その量もさることながら、とても綺麗な盛り付けがしてある。アルスイール側のテーブルと僕側のテーブルに対称的にそれらの料理が用意され、召使は頭を下げると言葉なく扉を出て行った。
「口に合うかはわからぬが…食べるといい」
アルスイールはそう言って再び席に着く。僕はうなずいて、料理に手をつけた。どれも味わったことのないような味だったがとても美味しかった。
「すごく美味しいよアルスイール」
僕が言うと、アルスイールは嬉しそうに笑みを浮かべた。それにしても食事も自室でとは思わなかった。
「本当は客間で食事を取らせてやりたかったのだが…あまりお前を外には出したくないからな」
そんな僕の思いを察したのか否か、アルスイールはそう言った。
「湯浴みも手狭ではあるがこの部屋で出来る…本当は大きな浴槽があるが…構わないか?」
アルスイールに問いかけられ、僕はうなずいた。僕を外に出したくない気持ちはわかる。クリアラはわかってくれたけどまた狙われるかもしれない。アルスイールはきっとそれを心配してるんだろう。僕たちは二人で静かに食事をした。食事が終わると、再びアルスイールは鈴のようなものを鳴らす。すると、先ほどと同じように扉が叩かれ、アルスイールが入れと言うと召使が静かにそれらの食器を手早く片付け、扉の外へと出て行く。アルスイールはそれを見届けると、席を立ち僕の横に立った。
「サヤカ…こっちへ」
アルスイールに促されて僕は差し伸べられた手をとった。促されるままに部屋の奥へと連れて行かれて、お風呂場と思われる場所に連れて行かれた。
「全て用意は整っている。好きに使ってくれて構わない」
アルスイールはそう言うと、僕から離れていった。目の前にある扉を開けると、カーテンのようなものが天井から下がっていた。その中に入るとタオルや洋服の入った籠があり、そのカーテンの先には大きな浴槽が湯気を浮かべていた。どこが手狭…僕はそう思った。僕の家のお風呂よりもずっと広い空間、そして大きな浴槽。本当にアルスイールは王様なんだと実感させられる。僕は服を脱ぎ、その広い空間に入っていった。ほんのり暖かく、豪華とは少し違うが白い壁には様々なレリーフが描かれていて、おしゃれだった。大きな浴槽も普通の浴槽とは少し違う。まるで映画に出てくるようにかたどられた形。そのお湯はほんのりとピンクがかっていて、いい香りがした。僕はお湯を浴び、その浴槽に入った。ちょうどいい湯加減だ。腕を撫でると、さらりとしていた。それは僕の世界で言うところの温泉みたいなものだ。美肌の湯って感じな湯船に、僕はふうとため息をついた。本当に僕の世界とは違うんだな…改めてそう思う。こんな風に別世界に来たというのに、僕はあまり驚いていない。というかもう麻痺してるのかもしれない。僕は湯船から出ると、体と髪の毛を洗い、それを流して再び湯船につかる。そして今日あったことを振り返っていた。アルスイールから聞いた予言、クリアラに殺されそうになったときに何故か止まった剣先、蒼い眠りの花の妖精に聞いた話…。不思議なことが一杯だった。そう振り返って、僕は湯船から出ると柔らかなタオルで体を拭き、用意されていた服に着替える。用意されていた服はワンピースだった。ひらひらとレースのあしらわれた、膝丈くらいの長さのワンピース。…僕こんな服…着たことないんだけど…。こんな女らしい服に袖を通したことはない。たいていニットにGパンといったような格好だ。今日着ていた服もそういう服だった。なんか…こんな服着てアルスイールの前に出るの恥ずかしい…。とはいえ他に服はない。僕は仕方なくその服を着てお風呂場から出た。ベットの上でくつろぐアルスイールがふと僕に視線を向ける。
「可愛いじゃないか。あの異世界の服も趣があってよかったが…そういう服のほうが似合うぞ」
アルスイールはふと微笑みそんなことを言った。僕は風呂上りでただでさえ火照った体が更に火照るのを感じた。こちらへとアルスイールに手を差し伸べられて僕はアルスイールのくつろぐベットに近づいた。アルスイールは僕の手をとるとぐいっと引っ張った。油断していた僕はそのままアルスイールの胸へと倒れこんだ。アルスイールはそんな僕を抱きすくめると、唇をふさいだ。さっきまでのキスとは違う、激しい口付け。僕は抵抗したけどアルスイールにしっかりと抱きすくめられていてそれを振りほどくことはできなかった。
「サヤカ…」
甘く、優しげな低い声が僕の名前を囁く。僕は始めての経験に頭の中はパニック状態だった。それでも、その声に僕は抵抗できなかった。そんな僕にアルスイールは微笑みかける。
「これ以上は…せぬよ…約束だからな…」
アルスイールはそう言って僕をベットにきちんと寝かせてくれた。
「ゆっくりおやすみ…サヤカ…」
そう言ってアルスイールは僕の額にキスをした。僕は安心した。そしてそのまま、深い眠りに落ちた。
目が覚めると、隣でアルスイールが昨日とは違う服で静かに寝息を立てていた。僕は驚いて思わず起き上がる。するとそのせいかアルスイールが目を開いた。
「ゆっくり休めたか?」
心地いい声でアルスイールはそう問いかける。僕はうんうんとうなずいた。
「ごめん。起こしちゃった?」
そう問いかけるとアルスイールはいや、と首を横に振る。太陽は既に高々と上がっているようだ。部屋の中は太陽の光で満ちていた。アルスイールは体を起こし、僕の額にキスをする。僕は真っ赤になっていた。アルスイールはそんな様子の僕を楽しそうに見て、嫌か?と問う。
「え…や…嫌じゃ…ないけど…こんなの経験ないし…その…」
僕はうまく言葉に出来なかった。アルスイールは可愛いやつだと僕を抱きしめる。何この甘い展開…なんかもうどうしたらいいのかわからないよ。僕は抱きしめられるまま俯いた。そうしていると、突然扉が開かれた。
「どうするか決まったか?」
入ってくるなりそう問いかけるのはクリアラだった。僕は慌ててアルスイールから離れた。
「おっとお楽しみの最中だったかな?」
にやにやと笑いながら言うクリアラにアルスイールはいや、と首を横に振った。
「下世話な言い方だなクリアラ…私たちは今目が覚めたところだ…」
少し乱れた黒髪を手ですくいあげるようにしながら、不機嫌そうにアルスイールは言った。全くなんてことを言ってくれるんだクリアラは…。
「ははは、すまんね。で、どうするか決めたのか?」
軽くそれを受け流してクリアラは再度問う。そんなすぐに決められるようなことじゃないのに…何言ってんだこいつはと僕は思った。慎重に考えないといけないことなんじゃないの?
「クリアラ、デリカシー無いな。ああいうことはそう簡単に決められるようなもんじゃないじゃんか」
むっとしたように僕が言うと、クリアラは少し表情をかたくした。そしてクリアラは僕に近づくと言い含めるように言う。
「だからだよ。サヤカ。この選択はこの国に関わることだ。慎重に考えるべきことでもあるけど、早いうちに決断してもらわないといけないような話だ。実際サヤカ、俺とアルスイールとお前の三人であの予言を聞いたけど、俺の父君は話を聞いてはくれなかったんだ。ただ、お前を殺せと言われてきたんだぞ。知っての上での命令かもしれない」
その言葉を聞いてアルスイールはピクリと眉をひそめた。
「まだそのようなことを…?」
クリアラの言葉に、アルスイールは言った。
「俺としてはお前たちの決断に沿うべきだとは思う。ただ俺の立場も考えて欲しいってことさ。俺だってこんなお嬢ちゃんを殺すのは気が進まないがそれが命令とあれば…」
クリアラはそこまで言って僕を見た。殺さざるをえないんだという目で僕を見る。僕はぞくっとした。その冷たい目は、本気だということを表している。
「王直接の命令だ。サヤカに手を出すことは私が許さない」
アルスイールは言った。クリアラは困ったようにアルスイールを見る。
「王のご命令とあらば…。しかし俺の父君にも同じことを命じてもらわないとな」
アルスイールはすっとベットから立ち上がると、紙とペンを持ってきてさらさらと何かを書いた。そして四角い判子のようなものを押した。
「これを父君に渡してくれ」
「サヤカに殺すことは王である私を殺すことと同じだと心得よ…か」
アルスイールの手からその書面をもらってクリアラは読み上げる。クリアラはその書面をくるくると丸めた。
「わかった。確かにこれはそんな短い時間で決断できるような問題じゃないからな。ちゃんと渡すとしよう」
すっとその書面を胸元に納めながらクリアラが言う。そうでなくても決断までの時間は短い。アルスイールの決断一つでこの国がどうなるかが決まると言っても過言じゃないんだろう。クリアラはきびすを返し扉から出ていった。アルスイールからため息がもれる。こんな選択、難しいに決まってる。僕はベットからぴょんと飛び降りるようにしてアルスイールに小走りで近づいた。そしてアルスイールをぎゅっと抱きしめる。アルスイールは驚いたような顔をした。
「サヤカ?」
僕は何を言ったらいいのかわからなかった。でも、アルスイールが悩んでるのはわかる。何か言ってあげたいと心では思うのに、ただ言葉無くアルスイールを抱きしめ、見上げることしか出来なかった。僕はそのときどんな表情をしていたんだろう。アルスイールは同じように僕を抱きしめる。僕の言えない言葉を、まるでわかってくれたようだった。言葉無く抱きしめあって、どれほどの時間が経ったかわからない。アルスイールは僕の顔を上げさせると、僕の唇をふさぐ。
「朝食にしよう。そして眠りの森の花畑まで馬を走らせよう」
アルスイールはそう言うと、夕べと同じように鈴のようなものを鳴らし、召使に朝食の準備をさせた。僕たちはその朝食を会話をするでもなく食べて着替えをすると、アルスイールに促されるまま部屋を出た。昨日クリアラと剣を交えた中庭に出て、更に廊下を進むと大きな広間のようなところに出た。僕は物珍しさに思わず見回した。高い天井に、上に続く螺旋階段のような階段があり、そのまま上がると二階、三階、四階、五階と続くようで、手すりのようなものが見える。天井全体が天窓のようになっていて、そこから日が降り注ぐ。夜になるとおそらく点くのであろうおしゃれな電気のようなものが階段沿いの壁にあって、その階ごとに扉がいくつも見える。一体いくつ部屋があるんだろうかと思う。ひとつひとつに丁寧に美しいレリーフが描かれていて、階段の手すりも豪奢な造りだ。その広間を突っ切るように歩くと、大きくてやはり美しいレリーフの描かれた扉があり、僕たちはその扉から表へと出た。表に出ると両側にやはり豪奢な手すりのようなものがあり、その向こうには花が綺麗に植えられている。どうやら玄関のようだ。正面には綺麗に整えられた芝が広がっていて、両側には花壇があり、色とりどりの花が競うように咲いている。その右側の花壇の脇に、石畳のような通路があり僕たちはその通路を歩いていった。通路沿いには木々が立ち並んでいてそれぞれに花を咲かせている。とにかく綺麗な花がそこらじゅうにあるというような感じだ。その先には大きな小屋のようなものがあって、その中から馬のいななきが聞こえてくる。どうやら馬小屋らしい。僕たちはその中に入っていった。中には何頭かの馬がいて、囲いの中で自由に動き回っている。その中に、ひときわ綺麗な白い馬がいた。僕たちが入っていくとその馬が近づいてきた。
「今日も元気そうだな」
アルスイールがそう言うとうなずくような仕草をする。アルスイールはその馬を囲いの中から出すと、乗馬の鞍を取り付けてその馬の上に乗った。
「サヤカ」
名前を呼ばれて、その手が差し伸べられる。僕がアルスイールの手を取ると、ぐいっと引き寄せられてアルスイールの前に座らせられた。アルスイールはなだめるように馬を優しく撫でる。
「眠りの森へ」
アルスイールが言うと、馬はひひ〜んと鳴き歩き始める。馬小屋を出て、木々の中を通っていくと大きな門があった。そこには門番のような人がいて、アルスイールの姿を見ると深々と頭を下げて門を開けた。
「サヤカ、しっかりとつかまっていてくれ」
アルスイールがそう言って手綱を引くと、馬は結構な速さで走り始める。辺りの景色が緑一色に感じる。しばらく走り、アルスイールが手綱を操ると今度はゆっくりと歩き始める。やがてその先に泉が見えた。僕たちは泉まで行くとアルスイールが馬を止め、馬から下りる。アルスイールは僕に両手を差し伸べると、抱きかかえるようにして僕を馬から下ろしてくれた。柔らかい草、あちこちに小さな可愛らしい花が咲いている。
「綺麗なところだね…」
僕がつぶやくように言うと、アルスイールはクスリと笑って気に入ったか?と聞いてくる。僕はうなずいて泉の中をのぞいた。泉はとても透明度が高くて、それなりに深いのに底のほうまで見える。すいすいと魚が泳いでる姿も見えた。アルスイールはそんな僕の傍らに来て、同じように泉の中を覗き込んだ。何も変わりはないな…とつぶやくように言って、僕の手を取る。
「サヤカ…こちらに…」
その手に引かれるままにその開けた泉の周りをぐるりと回るように歩いていき、更に森の奥のほうへと歩いていくといい香りがしてきた。あれ?この香りは…。
「アルスイール、この香り…眠りの花?」
僕が問いかけるとアルスイールはうなずいた。そして何かをつぶやく。それは僕にはわからない言葉だった。すると、何か薄いベールのようなものが僕たちを包み込むようにした。そのまま歩いていくと、それは綺麗な蒼い花畑が見えた。
「うわ〜〜すっごい綺麗!でもこれって眠りの花?僕が見た…花だ」
「そうだ。ここは私がサヤカを見つけた場所だ」
そう言って蒼く咲く花の中へと入っていく。
「アルスイール、危ないんじゃ…」
僕が言うと、アルスイールは微笑んだ。
「大丈夫だ。今は魔法の守りがある」
あたり一面蒼い花に囲まれた中、僕たちは立っている。確かに眠くならない。
「魔法?」
僕が言うとアルスイールはうなずいた。
「私は剣も使えるが魔法のほうが得意でな」
魔法…本当に御伽噺の中みたいだ…と僕は思った。今見える光景も、何もかもが僕の世界とは別世界だった。
「眠りの花の精よ…昨日の話をもう一度」
アルスイールがそう言うと、ふと優しく風が吹いた。まるで僕たちの周りを囲むように暖かな風が僕たちを包み込む。すると昨日聞いた声と同じ声が頭の中に響いてくる。
「アルスイール様…使者様…」
その姿は見えないが、確かにその声がした。
「月のないときは私たちの姿は見せられません…」
「それは構わない。それよりも昨日の話を聞きにきたのだ」
アルスイールはそう言って僕を抱き寄せる。
「父上を救い、我々が留まる術はないのか?」
僕ははっとした。アルスイールはずっとそのことを考えていたんだろう。でもその問いに答える声はない。ただ優しく風が吹くばかりだ。
「ないの?」
僕が急かすようにそう言うと、風はぴたりと止み、再度優しく僕たちを包み込むように吹いた。
「私たちに見えたのはそこまで…。あなた様方が消えるのが見えただけ…」
寂しげにも聞こえる声が頭の中に響いてくる。それは答えを示しているのかもしれないと僕は思った。僕たちはきっとアルスイールのお父さんを助けるんだ。そしてこの世界から消えるんだ。
「私たちはどこへ行くというのだ?」
再度アルスイールは問いかける。
「わかりません…私たちが見えたのはそこまで…」
そう声が響いてきたかと思ったら強い風が吹いた。僕たちは蒼い花びらに囲まれる。その中で見えたのは、誰かおじいさんの枕元に僕たちがいる姿。そしてその姿がふと消え去る姿…。これってもしかして…妖精の見た未来?僕がそう思ってアルスイールの顔を見上げると、アルスイールは悟ったような顔をしていた。きっと同じことを思ったんだろう。
「…わかった。ではさらばだ」
アルスイールはそう言うと、もと来た道をたどり始める。
「アルスイール?」
僕が言うと、アルスイールは僕を抱き上げた。
「見ての通りだ。私は父上を見捨てることなど…できない…」
そう苦しげにアルスイールは言った。
「力を…貸してくれるか?サヤカ」
僕は答える代わりに、アルスイールを抱きしめた。当たり前だよ…僕はアルスイールに僕のような思いをさせたくない…。お父さんの命を救えるのなら、いくらでも協力する。ありがとう…と囁くようなアルスイールの声が聞こえた。僕はきっとこのためにこの世界に来たんだ。アルスイールのお父さんの病気を治すために。その後僕たちがどこに行くかはわからないけど…そんなこと関係ない…僕は…アルスイールのためならなんだってできる。僕たちは再び泉まで戻った。もう日は暮れかけている。僕たちは来たときと同じように、馬に乗るとアルスイールの屋敷へと馬を走らせた。屋敷につく頃には、蒼い月が見え始めていた。本当に蒼い、蒼い月。僕たちの世界でも昔は月は蒼く見えてたって言うけど…こんなに蒼かったのかな?想像がつかないや。今僕たちの世界で見える月はオレンジがかった黄色い月。あの月が蒼く見えたなんて…きっとこんなに濃い蒼じゃなかったんだと思う。それくらいに蒼い。不思議だ。月がこんなに蒼いなんて…。僕のいた世界とは全然違う。
「サヤカ」
僕が物思いにふけっていると突然アルスイールから声をかけられて、僕はちょっと驚いてしまった。その様子にアルスイールは不思議そうな顔をする。
「どうかしたか?」
「あ…ううん。僕のいた世界とは随分違うな〜って思ってただけ」
そう言うと、アルスイールの表情が少し曇ったように見えた。
「どうしたの?」
僕が言うと、アルスイールは言おうか言うまいか悩むような様子を見せた。あ、もしかして僕がその世界に帰りたいって思ってるのかと思ってるのかな…。
「アルスイール、何か言おうと思ったんじゃないの?」
名前を呼ばれたことのほうに話を戻して言ってみた。するとアルスイールは少し表情を和らげた。
「そろそろ食事にしようかと思ったのだが…サヤカが元の世界に戻りたいと思ってるのではないかと…少し思ってしまった」
やっぱりそうだったんだ。僕は満面の笑みを浮かべて見せた。
「大丈夫だよ。僕、あの世界に未練ないから。そうだね、お昼食べてないし僕おなか空いたよ」
えへへと笑って言う僕に、アルスイールは寂しげな顔をした。あれ?なんでそんな寂しそうな顔するんだろう…。別にあの世界に未練ないって安心させたつもりだったのに…。何がひっかかったんだろう?
「本当に未練はないのか…?それも…寂しいものだな…」
あ…そっか…そうだよね…普通何かに未練があってもおかしくないもんね…。でもまだ一日くらいしか経ってないしなんか夢でも見てるような気分なんだよな…。それに帰っても…一人ぼっちで…きっと寂しい…そのほうが寂しい…。
「気にしないでよ、アルスイール。僕は大丈夫だから」
僕は出来るだけ明るくそう言った。アルスイールはそんな僕を抱き寄せた。
「すまないな、サヤカ。お前には負担ばかりかけているような気がする…」
「そんなことないよ!きっと…僕は向こうの世界に戻ったら余計に寂しいと思うんだ。だって誰もいない家に帰らないといけないんだもん。それにまだ一日くらいしか経ってないからなんだか夢の中にいるみたいな感じだから…夢…じゃないよね…」
抱き寄せられた感触、温もり、唇を重ねたときの感触…どれをとっても夢にしてはリアルすぎる。それに僕、キスされたのも初めてだからあんな感触知らない…夢であるはずがない…花の香りもわかるし、食事の味もわかるんだもん。これは紛れもなく現実だろう…。
「夢だとしたら…どうする?」
アルスイールにそう問われて、僕は思わず泣きそうになった。その顔を見てアルスイールは抱きしめる腕に力をこめた。
「すまない。おかしなことを聞いてしまったな…夢ではない…これは現実だ…サヤカ…お前の温もりも、この感触も、夢ではないと言っている。悪かった…部屋に戻って食事にしよう」
アルスイールはそう言って、馬小屋に馬を戻して僕の肩を抱き寄せた。そして外に出たときと同じように石畳のような通路を通り、玄関の大きな扉を開けて広間のようなところを通り過ぎ、中庭へと続く廊下を歩いた。その廊下で、待っていたかのようにクリアラが僕たちのほうを向いて立っていた。
「遅かったな。一体どこまで出かけてたんだ。俺にも一声かけてくれよ」
クリアラは少し非難するように言った。きっとアルスイールを守る役割にあるから心配してたんだ。
「すまないな。眠りの森まで行っていた」
アルスイールがそう言うと、クリアラの眉がぴくりと動いた。
「一体何しに行ってたんだ」
「昨日の予言の…確認をしてきた」
アルスイールはまっすぐにクリアラを見て言った。クリアラはやっぱりそうか…と納得するような表情をした。
「今日の夕食は一緒に取らせてもらえないか?俺にも話を聞かせてくれ」
クリアラがそう言うとアルスイールはうなずき、僕とクリアラを促すようにアルスイールの部屋へと行った。扉を開け、部屋に入ると夕食の支度はすまされていた。
「なんだ…もとよりそのつもりであそこで待っていたのか…」
その様子を見てアルスイールは言った。
「まだ冷めてないだろう。お前が出かけたって聞いたからさっき用意させたばかりだ。おそらく…例のことで出かけてるんだろうと思ってね」
そうクリアラは言うと、さっさと席に座った。アルスイールはため息をつき席につく。僕もそれに習って昨日と同じ椅子に座った。そうして食事を始めたが特に会話もなく、黙々と食べていた。僕には少し空気が重く感じた。食事のあまり進まない僕を見て、クリアラはため息をついた。
「悪いなサヤカ。何から話したらいいかわからないんだ」
クリアラの言葉に、それはそうだろうと僕は思った。どんな答えが出たとしてもアルスイールかアルスイールのお父さんはいなくなる。それは当然聞きにくいだろう。僕は頑張ってその食事を進める。
「大丈夫だよクリアラ。僕もなんとなくその気持ちはわかるから」
そう言ってパクパクと食事を食べる。アルスイールの出した答え…それはお父さんを助けること。アルスイールはここにいなくなる。きっとクリアラもそんな予感がしてるんだろう。だから一緒に食事をしようなんて言ったんだろうなと僕は思った。何故最初から予言の全部を聞かせなかったのか…そして何故僕を殺そうとしているのか…それを考えればわかる。きっと、アルスイールは僕と一緒にどこかに消えてしまうんだ。その予言を…変えるために殺されそうになって、そしてあそこまでしか予言は聞かされてなかったんだ。なんとなくそんな気がする。
「で、アルスイール。何を聞いてきた?」
やっとクリアラが話を切り出してきた。
「…父上の病気を治した上で私たちが消えずにすむ術を」
アルスイールは少し迷ったようにしてからそう言った。クリアラはやっぱりという顔をした。
「まあそんなことだろうと思ったよ」
そう言ってクリアラは食事を口にする。
「予言の、様子を見せてもらってきた」
その言葉に、クリアラは少し驚いたようだった。
「様子?」
「ああ…見せてもらったというよりは見せられたと言った方が正確だがな」
クリアラの言葉にアルスイールが答える。クリアラは僕のほうを見た。その顔は本当か?と聞いているように見えた。僕はうなずく。
「僕たちはアルスイールのお父さんを治して、その場から消えるところを…見たよ」
その言葉でクリアラは全てを悟ったようだった。
「やっぱりそっちの選択肢をとったか」
クリアラが言うと、アルスイールはうなずいた。
「私がいなくなっても父上が元気になれば王の座は父上に戻るだろう。何も問題はない」
「お前はそれでここに未練は残らないのか?」
あ…と僕は思った。そうださっきの問いかけは…僕に対して問われたものだけど、きっと自分に対してでもあったんだ…。
「私たちが消えるところまでしか見えていない。その後、私たちがどうなるのかはわからない。その上で、サヤカは納得してくれたのだ」
アルスイールは何かを含むようにそう言った。その含まれたものが何か、それは僕にはわからなかったけどクリアラにはわかったみたいだ。クリアラは納得したようにうなずいた。
「王の決めたことであれば…俺は従うまでだ…」
少し寂しげにも聞こえる声だった。クリアラはアルスイールがいなくなるの、嫌なんだな…。そりゃそうか…クリアラにとって幼馴染で、王様なんだもんね。クリアラは席を立つと僕に近づき、僕の頭を軽く撫でた。僕はそのことに驚いて思わずクリアラを見上げた。
「お前にも辛い思いをさせてるな」
クリアラの言葉に僕は首を横に振った。
「別に僕はいいんだ。死にそうになったんだ。今更、何も怖くないよ」
胸元の少し開いた服の端から、傷跡が見えたのだろう。クリアラはそっとそれを服で隠すようにしてくれた。
「お前自身も傷ついたのか」
クリアラのその言葉にアルスイールは驚いた顔をした。もう痛くはない。ただ、事故の様子をまざまざと思い出させるだけの傷跡…。アルスイールは僕のところまで来て、僕の服を引っ張る。
「ちょ…アルスイール?!」
肩から背中にかけての酷い傷跡。おそらくそれを見たんだろう。アルスイールは苦しげな顔をした。
「こんな酷い怪我を負っていたのか…」
アルスイールは眠りの花畑で聞いたような、僕にはわからない言葉を唱えた。しかしその傷跡が消えることはなかったようだ。アルスイールは申し訳なさそうな顔をした。クリアラも首を横に振っていた。
「既に治った傷を…消すことはかなわぬか…そのときに私がいればこんな傷を残すことなく治すことができたものを…」
悔しげなアルスイールの声が僕の頭の上から聞こえて、そっと傷を隠すように服を直してくれた。僕は背中に手を回した。こんな傷、見られたくなかったな…。肩から背中にかけてはやけどでただれたようになっていて、胸元は切り傷の跡がある。
「顔じゃなくってよかったな」
クリアラはそう言うと部屋を出て行った。アルスイールは僕の顔に優しく触れて、その手で髪をかきあげる。髪の毛に隠れていた傷跡があらわになって、アルスイールは顔をしかめた。
「気づかなかった…こんなところまで…傷があったのだな…」
「見ないで…こんな醜いところ…」
悲しげに言うアルスイールに僕は髪の毛でその傷跡を隠して言った。その言葉に、アルスイールは僕の傍らにしゃがみこむと髪の上からその傷跡の部分にキスをしてくれる。
「そのようなものは関係ない…」
アルスイールの言葉に、僕は泣きそうになった。事故の時のことを思い出してしまった。炎上する車。最初に助け出された僕は何とか助かったけど、後から助け出された父さんたちは…。僕のこの傷はそれをいつでも思い出させる。僕の様子を見て、アルスイールはすまないと言って僕の傍から離れた。僕も食事を終えて、テーブルから離れた。それを見てアルスイールは鈴を鳴らす。召使が食事を片付け、お茶の用意をしてくれた。温かなポット、そして綺麗に盛られたデザート。僕はそれに手をつけず、ベットに横になった。事故のことを思い出して少しナーバスになってしまった。そんな僕の横にアルスイールが座る。僕の頭を優しく何度も撫でてくれる。
「アルスイール…」
僕はそんなアルスイールのほうを見た。潤んだ目をしていたのだろう。僕の目に優しく口付ける。そして今度は僕の唇をふさぐ。一度離して、もう一度ふさがれる。今度は深い口付け…。僕はそれに答えるようにアルスイールの首に腕を回した。
「サヤカ…」
口元でアルスイールが囁く。これからどうなるかわからない…だったら…一度くらい全身でアルスイールを感じてみたい…僕はそんなことを思った。今度は僕のほうからキスをした。アルスイールはきっと驚いただろう。僕のほうからキスするのは初めてだ。アルスイールはそれが僕のOKサインだとわかってくれたみたいだ。深い口付けを何度も交わして…。カーテン越しの蒼い月だけがその様子を見ていた。
眠りの森の花畑
2008-05-18
始まり漆黒の瞳に漆黒の長い髪、雪のように肌が白いのに、唇だけは朱を塗ったように赤く、涼やかな切れ長の目が僕をじっと見ていた。僕が目を覚ましたことに気がつくと、目を細めて口の端を少しあげて笑った。僕が目を開けた時に見たのは、女とも男とも言いがたい外見の『美人』だった。
「大丈夫か?」
あ…この人男の人だ…。女にしては低すぎる声。けれど、その声がまた耳に心地よかった。よく見ると肩幅も女にしては広すぎる。でも線が細くて…ローブのような黒い服がよく似合っていた。…ローブのような服?僕は突然気がついた。ここは不思議だ。天井にはシャンデリアのような豪奢な照明があり、自分の横たわっているベットはふかふかで、薄いカーテンがかけられている。どこか御伽噺の中の光景のようだった。そろっている調度品はどれもぴかぴかに磨かれていて、高そうに見えた。
「何だお前、口がきけないのか?」
その美人な男は意外そうな顔をして僕の顔を覗き込んだ。その美麗な顔に、不覚にもどきっとした。
「あ、ごめんなさい。話せます」
僕は同様を隠すようにそう言った。それを聞くと、彼はふっと微笑んだ。本当に綺麗な人だ。
「お前顔が赤いぞ?熱でもあるのか?」
細くて長い指が僕の額に触れる。ひんやりと冷たい。ぼーっと見とれてしまう自分にいけないけないと僕はぶんぶんと首を横に振った。
「違う。僕、どうしてここにいるの?」
そう、僕は自分の家の裏にある森の中を散歩していて、迷うはずのない慣れた森の中で迷っていたらいい匂いがしてきて…なんだか眠くなったと思ったその先からの記憶がない。
「お前は眠りの森の花畑で倒れていたんだ。それを私のリーナが見つけてきたのでな…拾ってきた」
優雅な動きで鳥籠の中にいる鳥に向って手を伸ばした。どうやらリーナというのはその鳥の名前らしい。でも僕を拾ったって…。
「僕、ものじゃないんだけど。拾ったってなにさ」
ちょっとむっとしたように言うと、彼は声を出して笑った。
「な…何笑ってんだよ!」
僕は赤くなって言った。だって人を物のようないい方して笑うなんて失礼じゃないか。
「いや、済まないな。私にそんな口の利き方をする者も珍しい…それに私はお前の命の恩人だぞ。霊も言えないのか?」
「命の恩人?」
僕は不思議に思って言った。だって僕はいつもの森を散歩してただけなのに…。
「皆、眠りの森の花畑には近づかぬものだ。あの花畑の花は『眠りの花』といって眠りの森の名の由来だ。花の香りで眠りに誘い、眠ったものは生涯目が覚めることなくあの花の養分となるのだ。あのまま眠りこけていればお前も養分になっていたのだぞ」
彼は意地悪そうに言った。なんで僕の裏の森にそんな花畑があるんだよ…そんなの聞いたことないぞ。
「…とりあえず…ありがとう…でも僕はいつもの森に散歩に出ただけで、そんな話聞いたこともなかったんだけど」
彼は不思議そうな顔をした。
「そう言えばお前の着ている服はわが国のものではないな…どこからか迷い込んだか…」
彼の言葉に、僕は驚きを隠せなかった。わが国って…
「ここは日本じゃないの?」
僕が聞くと、彼はニホン?と不思議そうに繰り返した。
「そんな国は聞いたことがないな…それより…」
考えるような顔をしたかと思うと、彼は今度は不適な笑みを浮かべた。
「女だと思っていたのだが…お前、男だったのか」
その言葉に僕はかっとなった。
「僕のどこが男に見えるっていうのさ!僕はれっきとした女だ!!」
そりゃあ…確かに凹凸がはっきりしてるわけじゃないけどさ…。でも男に間違われるなんてこと今までなかったぞ。むっとした顔で僕は彼を見た。
「あ…いや、済まない。『僕』と言っていたのでてっきり男だと思ったのだ」
彼は申し訳なさそうに言った。なんだいいやつじゃん。そっか『僕』って言ってたからそう思ったのか。僕は納得して笑った。
「ううん。僕が『僕』って言うのは兄ちゃんが二人いたんだけど、それでクセになっちゃっただけなんだ。今更私とかってのもなんか気恥ずかしいし…」
僕が言うと、彼は綺麗な微笑を見せた。マジ綺麗だな…この人…。
「名は?」
「僕?僕は紗弥加。あなたは?」
僕は名前を聞かれて、そして彼の名前を聞いた。彼が私は…と、言いかけたとき突如、部屋の扉が開かれた。
「アルスイール様ぁ」
開かれた扉から甘ったるい声で口々に、三人の女たちが入ってきた。いずれも引け劣らずの美人ぞろいだ。
「アルスイールってあなたの名前?」
そんな三人はとりあえず無視して、僕は彼の名前を確かめた。彼はそうだと、うなずいた。入ってきた女たちは僕に気がついて僕を睨み付けた。そしてアルスイールの傍にわらわらと寄っていって彼の体に細い腕を絡み付けた。
「アルスイール様を呼び捨てにするなんて、あなた何故このようなところにいるのよ」
その中の一人が、口を尖らせて言う。その聞き方に僕もむっとした。
「僕はアルスイールに連れてきてもらったんだ」
わざと『眠りの森で助けられて』と言わずにそう言った。既に僕は喧嘩腰になっていた。予想通り女たちは顔色を変えた。
「本当なんですの?」
「本当なんですの?」
「アルスイール様!」
彼女らが口々にそう言うと、僕が喧嘩を売ったのか知ってか知らずか、アルスイールは僕の隣に座って僕の腕をぐいと引き寄せた。
「本当だ」
アルスイールは愉快そうに言った。僕はちょっと驚いた。僕が喧嘩売ったのわかったのかな?そんなことを思っていると、アルスイールは僕のあごを上げさせて頬にキスをした。
「そういう訳なので今日は遠慮してくれぬかな?」
僕が喧嘩を売った上で僕のこともからかってるんだ!そう気がついたのは彼から頬にキスをされたときだった。僕は真っ赤になってアルスイールから慌てて離れるころ、酷いですわっと口々に言いながら彼女らはパタパタと部屋を出て行った。
「やっと二人きりになれたな」
彼は面白そうに僕を見て平然と言った。やめてよその顔でそんな過激なこと言わないで!変な気分になっちゃうじゃないか!と、僕は思い切り彼から目をそらした。と、調度品を改めて見てそういえば『日本なんて聞いたことない』と言われたことを思い出した。
「ここ…何処?」
僕はアルスイールの部屋を見回しながら聞いた。
「私の国だ」
平然と言う彼に、僕は目を丸くした。へ…私の国?それって…。
「私はここの王だ」
僕はくらっと目眩がした。ひょっとして僕、とんでもないこと言ってとんでもないことしなかった?
「ごめんなさい!王様を呼び捨てにしたりして!」
彼は面食らったような顔をしてから、大声で笑い出した。
「何だ、お前本当に私を知らないのか?私のことは好きに呼ぶがいい。しかし今更『様』はやめてくれよ」
面白そうにクックックと押し殺したように笑いながらアルスイールは言った。なんか気さくな人だな…しかも超美形!と、いうことに気がついて僕はまたうろたえてしまった。いや、今はそんな問題じゃなく!
「そうだよ!私の国って…ここは北海道じゃないの?!」
僕は彼に向き直って改めて聞いた。
「ホッカイドウ?」
アルスイールは不思議そうな顔をした。
「さっきの『ニホン』といい『ホッカイドウ』といい…不思議なことを言う娘だな。そんな国は聞いたことないぞ」
確かに僕は一人ぼっちになっちゃってさ、なんか面白いことないかなーなんて思ってたりしたけど森の中歩いてたらいきなり別世界なんてあり?!
「お前はホッカイドウとかいうところから来たのか?」
彼は僕を引き寄せて言った。僕はそれにうなずくことはできたけど、頭の中はパニック状態でうまく働かない。そして僕自身のあまりの鈍さにも呆れた。こんな部屋とかアルスイールって名前とかローブみたいな服なんてよく漫画とかに出てくる魔法使いが着てるやつみたいじゃん!
「どうかしたのか?」
彼は心配そうに言った。彼は信じてくれるだろうか?
「僕…どうやらこの世界とは別の世界の住人みたいなんだけど…」
おずおずと聞く僕とは対照的に、アルスイールはなるほどと納得した顔をした。
「どうりで見たこともない格好をしているわけだ…そういうことなら納得がいく」
納得してくれた?納得してくれた…信じてくれたんだ。僕の言うことを…。僕は気がつくと、ぽろりと涙を落としていた。慌ててそれをふき取るが、なかなか止まってくれない。
「どうかしたのか?」
アルスイールは心配そうに僕の顔を覗き込んで言った。僕は一生懸命首を横に振った。
「違う。違うんだ。信じてくれたのが嬉しかったんだ」
僕は涙をこぼしながらも笑った。つられたようにアルスイールも優しく微笑んだ。そして僕の涙に口付けて、指でそっと頬を撫でた。僕はどきっとして彼を突き飛ばした。
「何だ、私は涙を拭いただけだぞ」
突き飛ばされたアルスイールは意外だなといった様子で言う。
「あ、ああいうのは拭いたって言わないっ」
真っ赤になって言う僕を面白そうに見ながら、アルスイールはクスクスと笑った。まるで人形のようだと僕は思った。艶やかな黒髪、色白な肌、僕はこんなに綺麗な人を見るのは初めてだった。
「それで、お前は帰りたいのか?その世界に…」
笑顔を作ったまま言うアルスイールの言葉に、僕ははっと気がついた。父さんと母さんと兄ちゃんたちは、つい先日交通事故で死んだ。僕だけが生き残った。僕はずっと入院していて、やっと自分の家に帰ってきたけど…父さんたちはもういない…。
「どうかしたのか?」
さぞかし情けない顔をしていたんだろう。アルスイールは心配そうに言った。家族がいなくなった今、家に帰っても一人ぼっち。遠縁の親戚はいるけど、付き合いはない。きっと僕を引き取るとか引き取らないとか今頃やってるところだろう。それを思えば…アルスイールはいいやつだ。本当のところはまだわからないけど…でもいいやつだと思える。それに…何故だか惹かれる。見たことのないほど綺麗だから、とかそんなんじゃない。信じない人もいるかもしれないけど、なんか運命だったみたいに感じる。僕とアルスイールが会うのは、運命だったんじゃないかって。
「なんでもない。僕、別に帰れなくてもいい」
その言葉に、ほっとしたようにアルスイールは笑みを浮かべた。どきっとする僕の眺めの髪の毛に、細い指を絡ませる。
「私はお前が気に入った。お前が良ければ、いつまでもここにいるがいい」
アルスイールはそう言うと、今度はその髪に口付けた。そんな仕草に僕はどきどきしっぱなしだった。この世界の人ってみんなこうなのかな…どきどきが止まらない。アルスイールに聞こえてしまうんじゃないかってくらい、どきどきしてる。
「そ…そういえばさっきの人たち、なんだったの?」
慌てて話題を変えるように僕は言った。すると、アルスイールはつまらなそうな顔をしてベットから立つ。
「私の花嫁候補だ。父上の選んだな」
アルスイールは鳥籠に手を伸ばすと、中にいるリーナを指先に止まらせる。
「あれ?お父さんがいるのにアルスイールが王様なの?王子様じゃなくて?」
「ああ。私は遅くに出来た子供だからな。父上ももう若くないのだ。もう一年くらいになるか。病気でふせったままだ。その時に私が王となった」
アルスイールは寂しげな顔で言った。僕の胸も、きゅっとして痛かった。
「お母さんは?」
アルスイールはリーナを部屋に放し、僕に近づいてくる。
「私が生れた次の年には亡くなったとの話だ。母上はあまり体の強い方ではなかったそうでな。やっと出来た子供である私を、自分の命と引き換えにするように亡くなったそうだ…。父上は母上を今も深く愛している。再婚など、考えたことはなかったそうだ。だから私の子供を待ちわびている…」
アルスイールは憂い顔でそう言うと、僕の目の前に立ち、再び僕の髪の毛をその細い指で絡めとった。
「何故…こんな話をしてしまうんだろうか…今まで誰にも話したことなどなかったのに…」
悲しげに、儚げに微笑を作るアルスイールに、僕は思わず抱きついた。
「何だ?」
アルスイールは落ち着いた声で言う。
「寂しかったんだね。アルスイールはずっと寂しかったんだね…」
僕はそう言いながらアルスイールを抱きしめた。アルスイールは薬と笑った。
「おかしなやつだな。そんなことはないぞ。私は幸せだ」
アルスイールの言葉に、思わず涙目でアルスイールを見つめた。
「あのね。僕の家族…父さんと母さんと…にいちゃん二人、この間交通事故で死んだんだ。僕だけ、一人だけ生き残ったんだ」
「そうか」
アルスイールは一言そう言って、僕を抱きしめた。
「お前の目は綺麗だな。そんな澄んだ目で見つめられると全てを見透かされそうだ…だが…その目が気に入った。この髪も好きだ…」
そう言って髪の毛に口付ける。
「眠っているお前を見つけたとき、この栗色の髪が蒼い花畑の中に見え隠れしていた。何故かお前に惹かれた…お前の瞳の色は何色なのか…声はどんな声なのかと…」
僕はなんだか妙な気分になっていた。そんな風に言われたことなんてない。経験のない事に、僕は照れくさくてしょうがなかった。
「アルスイールの紙と瞳は漆黒だね。僕、目を覚ましたときにアルスイールを見てすごく綺麗な人だって思ったんだ。白い肌とか…真っ赤な唇とか…男の人とは思えないよ」
僕はそっとその白い肌に触れてみた。柔らかく、さらさらとしている。アルスイールは体温が低いみたいで、触れた肌もひんやりと冷たかった。
「私の花嫁にならぬか?」
僕は目が点になった。今…なんて…花嫁?
「どうも私はお前が気になってしょうがない。お前の全てを…知りたい…」
艶っぽい声で言われて、僕は頭がくらくらした。そんな僕の唇にアルスイールの唇がそっと触れて、離れた。ゆっくりと押し倒されて…ってちょっとまってよ!
「ア…アルスイール…ちょっ…ちょっと待ってよ!」
僕は慌ててそんなアルスイールを押し止める。いくらなんでも初めて会ってちょっと話しただけなのにこの展開は…。
「嫌なのか?」
黒い瞳が細められる。まるで吸い込まれそう…。
「そ…そういうわけじゃないけど…ほら、僕アルスイールのこと何もわからないし…アルスイールだって僕のこと全部わかったわけじゃないでしょ?…このままじゃ、やだな」
慌てて言い繕う僕に、アルスイールは意地悪そうに笑った。
「それは『嫌』と言っているのではないか?」
あはは…と僕は誤魔化すように笑った。だって確かに運命かもとか思ったけどいきなりこの展開はないでしょ…。
「まあいい。そんなところもかわいい…」
そう言って僕の額に唇を寄せる。僕はそんな扱いなんかされたことないからきっと今真っ赤になってる。顔が熱い。
「僕、どうやらアルスイールのこと好きみたいだけど…でももっと良く知りたいと思うから、とりあえず保留ってことでいいかな?」
僕は精一杯の歩み寄りを見せた。アルスイールはクスリと笑って僕を抱きこむようにすると、僕の顔を上に上げさせた。
「善処しよう」
そう言って、僕は再び唇をふさがれていた。
「…予言どおりだな…」
唇を離して、そっと囁くようにアルスイールが言った。
「予言?」
アルスイールはうなずいた。僕を背中から抱きすくめ、耳元で囁く。
『百年に一度の紅き月、眠りの森にその光そそぐ…
蒼き花、紅き月の光浴び天からの使者舞い降りる…
その使者御子の心奪い、使者もまた心奪わるる…
紅き月沈み蒼き月三度眠りの森に光注ぎしとき…
天からの使者消ゆり、御子もまた消ゆる…』
艶やかな声を歌うように耳元で囁かせて、アルスイールは僕を抱きしめる腕に少し力を込めた。
「何?それ」
僕はそんな声にぞくっとしたが、平然を装って言った。アルスイールは立ち上がると、僕に手を差し伸べた。その手を取って立ち上がると、アルスイールは窓へと向う。窓を開け放つと、蒼い月の光が僕たちを包み込んだ。
「私の父上が昔預言者に言われたことだそうだ」
僕は蒼い月に見とれつつ、その言葉を聞いていた。アルスイールのお父さんが言われた予言ってことは…。
「じゃあ『御子』っていうのはアルスイールのこと?」
そう言うと、アルスイールは少し悲しげな顔でうなずき、月を見上げた。僕はそんな蒼い月の光を纏うアルスイールの美しい姿に見とれていた。…いけない。不謹慎だよね…。
「この蒼き月は私たちをどこへ連れて行くというのだろうな…」
アルスイールは静かに言った。私たち?僕はきょとんとした顔をしてしまった。アルスイールはクスリと笑う。
「訳がわからぬか?」
そう言われて僕は首を傾げた。アルスイールはふわりと僕の肩を抱き寄せた。
「昨夜は…紅き月の輝く夜だったのだ…」
それを聞いて僕はようやく思い当たった。僕は眠りの森の花畑でアルスイールに助けられた…ってことは天からの使者って言うのが僕で、御子がアルスイールなんだ…。アルスイールが僕の言ったことを信じたのはその予言があったから…僕に元の世界に帰りたいか聞いたのは、僕の世界に行くかもしれないって思ったからなんだ…。
「アルスイールはこの世界から出たくないんだね」
アルスイールははっとしたように僕を見た。きっとお父さんが病気で、自分がこの国の王様だからこの世界を出たくないって思ってるんだ。
「お父さんを一人にしたくないんでしょ?」
僕の言葉を聞いてアルスイールは少し困ったように微笑んだ。吸い込まれそうな漆黒の瞳が、微かに揺れる。
「本当にお前のその目は私の全てを見透かしてしまうのだな…。お前を見つけたとき、お前に惹かれたと言っただろう?」
僕がうなずくと、真っすぐに見つめていた僕の目からふと目をそらし、蒼い月にその視線を移した。そしてゆっくりと目を閉じる。
「あの時に感じた…私はお前と出会うべくして出会ったのだと…。私は予言のことなど忘れていたのだよ…紅き月の輝きは、あの予言を思い出させてはくれなかった…お前の姿を見つけ、こうして二人になってようやく思い出したくらいだ。まだ、幼い頃に聞いた話だった…覚えていたほうが不思議というほどにな。惹かれる思いに嘘はつけぬ…予言は成就されるだろう…しかし…この国を捨て、あの父上を置いて…消えることなど出来ない…」
そう言ったアルスイールは悲しいほどに儚げで、本当に月明かりの中消えてしまいそうだ。そっかだから花嫁にならないかなんて言ったんだ。でも、僕だって感じてた。目の前にいたアルスイールに、僕は惹かれた。あまりにも綺麗だったからとかそんなんじゃない。だって僕は面食いじゃないし、ここまで綺麗だと逆に引いちゃうと思う。でも…でも僕は…アルスイールに何かを感じた。
「でも僕は天からの使者なんかじゃないよ」
僕はキッパリと言った。アルスイールは再び僕に視線を戻した。その表情は、無表情…いや、少し驚いたような様子だ。
「僕は普通の人間だもん。王様なんかには普通に会えるような立場じゃないよそれが天からの使者なんて…笑っちゃうよ」
そう言って、笑った。だって実際アルスイールのほうがよっぽど天使みたいだ。翼があってもきっと僕は驚かない。僕はアルスイールに見とれてしまった。その艶やかな黒髪も、漆黒の瞳も、白い肌も、紅い唇も、まるで造られたように綺麗だ。
「私にはお前が天使に見える…見える部分だけが全てではないだろう…」
そう言ってアルスイールは僕を抱きしめる。もう何度抱きしめられただろう…この腕の中がこんなに心地いいなんて…。僕は目を閉じて、アルスイールに抱きしめられるがままになっていた。そこに、トントンと扉を叩く音がした。
「アルスイール、いるか?」
そう言ったのは男の声だった。
「珍しいな…お前がノックするとは…入ってくればいいだろう」
アルスイールがそう言うと、ガチャリと扉が開かれた。そこに立つのは銀髪に蒼い瞳、そして鞘に納めた剣を携えた、剣士のようだった。
「その子がアルスイールが拾ってきたお嬢ちゃんか」
アルスイールの腕に抱かれたままの僕に、その男は言った。僕ははっとしてアルスイールの腕からするりと抜け出した。
「あはは、赤くなっちゃって可愛いこと」
心底面白そうに笑いながらその男は言った。
「あまりからかってくれるなよ、クリアラ」
アルスイールがそう言うと、クリアラは両手を挙げてはいはいと言った。アルスイールは『美人』だけどこの人は『美形』だ。この世界は顔のつくりが整った人しかいないのかなと、僕は疑ってしまった。だって僕が見たのは三人の美女、それよりもとびっきり美人なアルスイール、そしてこの美形なクリアラなんだもん。それに比べて僕は…平凡な顔立ちだ…。
「クリアラ、何か用事でも?」
「ああ、そうそうアルスイール、父君がお呼びだよ。アルスイールを呼んできてくれってさ」
アルスイールが問いかけると、クリアラは気軽にそう言った。二人って兄弟か幼馴染なのかな?
「なんだ。お前が呼びに来るほどのことでもないだろうに…」
アルスイールはすいっとクリアラに近づき、クリアラの肩に手を置いた。
「これはクリアラ…こう見えて剣の達人だ…騎士団長を勤めている」
アルスイールはふと僕を見て言った。
「そんでもって、幼馴染なんだ」
クリアラが軽い口調で付け加えた。なんだそっかそれなら気軽に話しかけても当然か〜。とても対照的な二人だけど…。そんなことを思っていると、ひょいとクリアラの顔が僕を覗き込んだ。僕はびっくりして後ずさった。
「あはは、驚かしちゃったかな。ごめんごめん君がアルスイールの天からの使者?随分と可愛らしい子だね」
にっこりと笑ってクリアラが言う。可愛らしいって…そんなこと言われたことない。僕は真っ赤になってしまった。そんな僕に噴出すように笑って、僕の肩に手を回してきた。
「ま、この子は俺が見ててやるから行ってこいよ」
クリアラが軽い調子でそう言うと、アルスイールは僕の肩を抱いたクリアラの手をつねりあげた。いたたたと、クリアラの手が僕の肩から離れた。
「気安く触るな。これは私のお気に入りだ」
アルスイールがそう言うと、はいはいといったようにクリアラは両手をあげた。
「わかりましたよ、我が王アルスイール様」
クリアラは軽い口調で言う。アルスイールはクリアラの肩に手を置くと、じゃあ頼んだと、部屋を出て行った。クリアラはそれを手を振って見送ると、扉が閉まるなり僕をじろじろと見た。ちょっと不愉快なその視線に、僕はちょっといらだった。
「なんだよ…」
不機嫌そうな僕の声に、クリアラは不敵な笑みを浮かべる。
「いや、アルスイールがあれほどまでに御執心な理由がわかるかなと思ってね」
クリアラはそう言うと、再び僕をまじまじと見る。
「特に変わったところのない普通の娘に見えるけどなぁ」
そう言って僕に近づいてきた。僕は何か殺気のようなものを感じてじりじりと後ずさりをした。
「部屋の中にいてもつまらないだろ?ちょっと外に出てみないか?」
クリアラはそう言うと、僕の横をすり抜けて扉を開けた。来いよというように僕を促す。なんだか危険なにおいがする男だと僕は思った。殺気のように感じるその雰囲気は僕の気のせい?でもアルスイールの幼馴染だし…大丈夫だよね…。僕はそんな風に思いながらクリアラの誘いに乗って外に出た。外に出て、長い廊下を歩いていくと、中庭が見えた。中央に噴水があり、その周りを花壇が綺麗に整えられて、様々な花が咲き乱れている。
「うわぁ…綺麗だね〜」
僕は感嘆の思いで思わず口にした。思わずため息まで出てしまう。蒼い月の輝きに噴水はキラキラときらめいて、花々はそのしぶきを浴びてはやりその姿を競うかのようにキラキラと輝いている。僕はその光景にうっとりとした。
「気に入ったかい?お嬢ちゃん」
隣に立っているクリアラが言う。
「お嬢ちゃんはやめてよ。僕の名前は紗弥加っていうんだ」
僕はクリアラに名前を名乗るのを忘れていたことに気がついて言った。
「ふ〜んサヤカか〜〜なんか変わってるけど響きのいい名前だな」
無邪気な笑顔でクリアラが言った。そっかここでは名前の感覚が違うんだ。そういえばアルスイールとかクリアラとかだってファンタジーの漫画とか小説に出てきそうな名前だもんね…。つくづく全然違う世界なんだなって、改めて実感しちゃったよ。
「俺も気は向かないんだけどなぁ…」
クリアラは突然そう言うと、僕に向って剣を抜いた。僕はとっさにクリアラとの距離をとった。
「…どういうこと?」
僕は腰を低く構えて言った。クリアラはにやりと笑うと、僕に向って剣を振るう。僕はそれを避けた。
「アルスイールの父君からの依頼さ」
二度、三度と剣を振るうクリアラはそう言った。僕はその剣を避け、間合いをつめた。
「それってあの予言のせいだね」
僕はそう言うと、クリアラの胸元を掴み、一本背負いをした。しかしクリアラは地面に叩きつけられることはなく、くるっと一回転するようにして地面に降り立った。
「なんだ、ただの娘じゃなさそうだな」
感心するようにクリアラは言った。僕は一通りの格闘技をマスターしていた。
「うちの両親厳しかったんだ」
父さんは柔道の達人、母さんは空手の達人、兄ちゃんは剣道の達人、もう一人の兄ちゃんは合気道の達人だった。全員から僕は鍛えられてた。女は強いに越したことはないっていうのがうちの家訓だった。僕は何か棒でもないかと辺りを見渡した。でもさすがに綺麗にされていてそんなものはない。どうしよう…。そう思っている間にもクリアラは剣を向けてくる。それを避けながら僕は考えた。剣には距離が必要だから…とりあえず間合いをつめて…クリアラのみぞおちを殴りつけた。クリアラはぐほっと前かがみになった。その隙にクリアラの剣を持つ手を打ち、剣を落とした。その剣を僕は拾い、クリアラに向けた。
「クリアラ、もうやめて僕は君を傷つけたくない」
クリアラは目を丸くした。
「殺そうとした者に、そんなことを言えるのか」
驚いたように言うクリアラに、僕はうなずいた。
「アルスイールの信じてる人を傷つけるのはいやなんだ」
それを聞いて、クリアラは驚いた顔をした。そして、急に笑い出すと僕の肩に寄りかかるようにした。
「いや、まいった。サヤカ、君にはまいったよ」
はははと笑いながらクリアラは言った。なんのことだろう?
「君もやっぱりアルスイールを好きなんだね」
クリアラの言葉に、僕は真っ赤になった。それを面白そうにクリアラは覗き込む。笑っていたクリアラは、急に真面目な顔になった。
「サヤカ、君も予言の事を知ってるんだね」
そう言われて、僕はうなずいた。
「アルスイールが言ってたから」
そう言うと、クリアラはそうかとうなずいた。アルスイールも承知の上か、と。
「俺は俺の父君から聞いたのさ。そういう予言をされたってね。そして王を守れと」
『王を守れ』というのは僕の存在も含まれているんだろうと僕は思った。僕は王を連れて行ってしまう存在だと思われてるんだ。僕という存在からも王を守れとそういうことなんだろう。
「実はお父さんから言われて僕を殺しにきたんじゃないの?」
僕が言うと、クリアラはそこまでよむか…と、苦笑を浮かべた。やっぱり本当はお父さんから言われてきたんだ。僕はクリアラの剣をクリアラに返そうとした。が、クリアラはそれを受け取らなかった。
「命令なんでね」
クリアラは僕から離れ、右手に左手を掲げる。そうすると右手から剣の柄のようなものが見えた。僕は驚いて剣をクリアラに向けた。その剣の柄のようなものを左手で掴み、まるで体の中から出すかのようにすらりとした水晶のように透き通る細身の刃が出てきた。
「俺もお前のことちょっと気に入ったんだけど…残念だな」
そう言って、その剣の矛先を僕に向ける。
「お手合わせ、もうらおうかサヤカ」
クリアラはそう言うと僕に剣を振り下ろす。僕はその剣をクリアラの剣で受け止め、なぎ払った。その勢いでクリアラに切りかかる。しかしクリアラは既に体勢を整えていて、再び僕に向って剣を振るう。シャリンと剣と剣の交わされる音が幾度となく響き渡る。
「何をしている!」
アルスイールの声に、僕は油断した。水晶のような剣に僕が持っていた剣は弾き飛ばされ、とどめとばかりに僕に剣が迫ってきた。もうダメだ!と僕が思ったとき、僕の目の前でクリアラの剣は止まっている。
「アルスイール…壁を作ったな…」
クリアラは静かにそう言うと剣を下げた。アルスイールは僕のほうに近づいてくると、ふわりと抱くようにして、怪我はないかと聞いてくる。唖然とする僕はその言葉にかろうじてうなずいた。何かに阻まれるようにしてクリアラの剣が止まった…あれはなんだったんだろう…。
「アルスイールがいるんじゃ俺のほうが分が悪いな」
クリアラは悪びれなく言うと、アルスイールはそんなクリアラをにらみつけた。
「何故こんなことをした」
低く、怒りに満ちた声でアルスイールは言った。僕はアルスイールに抱きしめられその成り行きを見ているしかなかった。
「俺の使命はあらゆることからお前を守ることだ」
クリアラは真剣な表情で言った。
「お前にいなくなられたら困るだろう?色々と。そういった危険は排除するのが俺の役目だ」
その言葉に、アルスイールは僕を抱きしめる腕に更に力を込めた。
「サヤカは私に害を為すものではない」
アルスイールは強い口調で言った。
「お前を連れ去るやつだろう」
その言葉にクリアラはすかさず切り返す。
「お前がこの国から消えるのは、害ではないのか?」
アルスイールは言葉を失った。それを避ける術はないかと、考えているようだった。僕はどうしたらいいんだろう。僕は別にこの国からアルスイールを奪うつもりはない。でも僕の知らないところでそういう風に事態が動いているみたいだ。そんなもの、どう考えたって自分には重い。
「クリアラ、僕はアルスイールをこの世界から連れ出したいなんて思ってないよ」
僕の言葉に、クリアラはピクリと肩眉をあげた。
「なんだって?お前がアルスイールを違う世界に連れて行くんじゃないのか?」
クリアラはどうやらその天からの使者がアルスイールを連れ去ると思っていたみたいだ。そう言えばアルスイールに問われたことだって僕がアルスイールを連れ去ること前提みたいな問いかけだった。予言は、そういう風に受け取られていたんだと、僕は初めて気がついた。
「僕にそんな力はないよ。僕だってどうやってここにきたのかわからないんだ」
僕の言葉に、二人は黙り込んだ。僕がどうやってきたのかわからないんだから、僕がアルスイールをここから連れ去る方法なんてわかるわけがない。どうやら二人ともそれをわかってくれたみたいだ。そこに、いきなり突風が吹いた。アルスイールのローブのような服がなびき、その黒髪が風の形をかたどる。クリアラも顔をかばうようにして腕を交差させてその突風に耐えた。その風に乗って、青い花びらがひらりと舞った。
「なんだ?」
突風は過ぎ去り、僕たちの視界には青い花びらが舞う様が広がった。
「眠りの花の花びらがこんなところまで?」
アルスイールは言った。そういえば僕が誘われた花の香りが中庭に広がっていた。
「アルスイール様…」
どこからか不思議な声が聞こえた。僕たちは周りを見回したが誰かの姿が見えるわけではない。それもそうだけど、その声は耳に聞こえたというよりも、頭に直接響いてきたようだった。
「アルスイール様…」
再度繰り返される声の主は、見つけられない。
「誰だ?」
アルスイールは僕をかばうように抱きしめたまま言った。その声にふと、小さな妖精のような生き物が現れた。
「私は眠りの花の精…焼き払われるところだった我々の住処を守ってくださった前王である、あなたのお父様に予言した者です…」
クリアラは幾本かのしわを眉と眉の間に寄せて疑わしげな顔をした。アルスイールは切れ長な目を細めてその妖精を見つめていた。僕は目を丸くしてそんな様子を見た。
「あの予言には続きがあります…」
妖精が言うと、アルスイールの眉がぴくりと動いた。
「あなた様とその天からの使者のお力で、お父様を助けることが出来ます…」
「なんだと?」
その言葉に、アルスイールは聞き返した。アルスイールの力って…さっき僕を助けてくれたような力?僕にはなんの力もないのに…どうして僕の力が必要なんて…と思っていると、その妖精は言葉を続けた。
「王がその命つきかけるとき、天からの使者現れる…その使者、癒しの力を持つもの…王の命を救うのと引き換えに、あなた方はいずこへか消ゆる…」
「なんだって?」
と、アルスイールは言った。自分が聞いていた予言と、少し違うというのをまるで非難するように。僕に癒しの力?なんで?そんなものない。そんなものがあったら…。
「僕には…癒しの力なんかない…」
僕はポツリと言った。クリアラとアルスイールの視線が自分に向けられるのを感じた。僕は泣くのを必死にこらえた。
「だって…僕に癒しの力があるっていうなら、僕の父さんと母さんと兄ちゃんたちは死ななかったはずだ!」
交通事故に遭った時、みんな重症だった。本当なら僕も死ぬところだったのに、僕だけが生き残って、父さんたちはみんな死んだ。涙が出そうになるのを僕は必死にこらえた。唇をかみしめて、その妖精を睨んだ。僕を抱きしめていたアルスイールが僕を見る。
「サヤカ…」
きっとその先が言葉にならなかったんだろう。アルスイールは悲しげな顔で僕を見つめた。クリアラも、そんなことがあったのかと驚いた顔で僕を見ている。
「その時には、まだその力はなかったのです…この世界に来て、その力は備わったのです…」
妖精は、やるせない顔で言った。僕は悔しさに歯噛みした。
「父上は知っていたのか?その予言を」
アルスイールは妖精に視線を戻し、問いかける。妖精は静かにうなずいた。
「全てを失った少女が天からの使者であることも…ご存知でした…」
じゃあ、アルスイールのお父さんは僕を殺して、自分も死んで、アルスイールにこの国を託そうと思ったのか…僕はそう思った。きっと、自分を助けることを選ぶだろうと思ったんだ。
「明日、アルスイール様のお父様の命が消えます…その前に、あなた方の力で救っていただければお父様の病気はよくなります。その代わり…あなた方はいずれかに消え去ります」
僕はアルスイールの顔を見た。アルスイールの顔には苦渋の選択を迫られた人の表情が浮かんでいた。クリアラもまた、僕を殺すべきか否か、悩んでいるように見えた。
「あなた方がお救いにならなければ…お父様は亡くなり、あなた方はこの世界に留まることになります…」
クリアラとアルスイール、そして僕は顔を見合わせた。
「とりあえず、お前たち次第ってことか。サヤカ、さっきは悪かったな」
クリアラはそう言って僕に頭を下げると掌から出した剣を、出した時のように右の掌に剣の切っ先を刺すようにすると、それは掌を貫かず水面に沈んでいくかのように掌に納まっていく。それは不思議な光景だった。
「俺はお前がアルスイールを連れて行ってしまうのかと思ったけど、今の話だとお前たち次第みたいだからな。俺がどうこうするようなことじゃない」
クリアラは剣を納め、言った。
「決断は、明日の朝までに…」
妖精はそう言うと花びらとともに消えていった。アルスイールは思い悩むような顔をしている。僕はアルスイールの頬にそっと手で触れると、アルスイールは僕を見た。
「僕は、アルスイールの思うままに」
僕はお父さんを助けられるなら助けたいと思った。でもアルスイールがこの世界に留まることを望むなら、僕は一緒にいたいと思う。だから、僕はアルスイールの意思に従う。でも消えるってどういうことなんだろう…僕の世界に行くのか、他の世界に行くのか、それとも…僕たちが消えてなくなるってことなのか…。もしどうなったとしてもアルスイールと一緒ならいい。僕はアルスイールと一緒なんだったら…いい。アルスイールは僕の顔を見た。悩んでいるのがわかる。僕にはもう誰もいない。だからアルスイールがいればいい。僕はアルスイールをぎゅっと抱きしめた。
「アルスイール。僕はアルスイールと一緒ならどうなってもいいから、アルスイールが考えて決めて」
僕の言葉に、アルスイールは僕と同じように抱きしめてくれる。クリアラはただ、僕たちを見つめていた。
無題
2007-12-06
遠くから聞こえる汽笛の音。その音を聞くと、海に行きたくなる。そんなに近くは無いのに、何故か近くの線路からの電車の走る音より、船の汽笛のほうがよく聞こえることがある。
車で走ること10分程度で、海の見える場所には行ける。でもそれは海とは言えぬようなしろものだ。黒っぽく濁った東京湾。停泊している船が沢山あって、一見景色が良さそうで、良くない。 生臭いにおいが風に乗って流れ来る。お世辞にもわざわざ見に行くようなところではない。
だが、そんな日の夜は、ドライブをしたくなる。車で走ること約30分。稲毛海岸まで行ける。そこは左側の対岸にオレンジ色の工場の光が、右側の対岸には都会のイルミネーションのような白い光が、そして正面には、オレンジの光と白い光を繋ぐように弧を描いた光が、途中途切れつつも続いている。後は、暗い海、そして見上げれば、星の瞬きが。
海の濁りはわからない、夜の海。工場の明かりと、街の光と、星の瞬きにしばし時を忘れる。そんな光景が好きで、時折こうして車を走らせる。
ある日の夜、空気が澄んでいたのだろう。雲が無かったんだろう。それは見事な星空が見えた。息を呑んだ。今までこんなに綺麗な光景は見たことが無かった。同じ場所、ほぼ同じ時間だというのにこの違いはどうしたことだろう。
不思議に思う。天気がよく、空気が澄んでいれば、こんなにも星が見えるものなのか。
そんな記憶も、いつしか遠のいていく。
あんなにも感動したのに、薄れていく。
泣きたくなると、また、夜に車を走らせる。あの時と同じ光景を見るために。あの時と同じような光景は、あれから見れることはなかったけれど…いつか見れると、信じて。
気持ち
2007-11-29
空を流れる、雲のように。移り行く、季節のように。
人の心も、変わっていくのだろうか。
空を眺めていたら、雲が流れ行くのを見た。当たり前の当たり前の風景。
日々が流れ季節が行くのもまた、当たり前のこと。
そしてその日々の中で、人の心も変わっていくのだろうか?
変わらない気持ちは、ないのだろうか…。
寂しくて、誰かを求めるのは何故?
傍にいてくれる人がいるのに、寂しいのは何故?
抱きしめて欲しい。
暖めて欲しい。
心ごと、包み込んで欲しい。
移り行く季節、移り行く日々に流されない。
そんな気持ちがあればいい。
そんな気持ちがなければいい。
正反対な気持ちが行き交う心。
忘れたい気持ち。
覚えていたい気持ち。
忘れたいことは、いつまでも心の奥に。
覚えていたいことは、何故か薄れゆく。
抱きしめて欲しい、忘れられるように。
抱きしめて欲しい、忘れられないように。
寂しさも楽しさも、心の糧になればいい。
実話を元に
2007-11-20
夢ある日、気がつくと、広い庭園に私は立っていた。暖かな風が吹き、緑が一杯の中、ぽつんと、不自然な螺旋階段がある。その螺旋階段の近くには、小さな女の子が居た。私は何の疑問も持たず、女の子に聞いた。
「私はいるの?」
自分でもなぜそう聞いたのかはわからない。しかしその女の子は、にっこりと笑うと、
「いるよ」
と言った。
「こっちこっち」
女の子が促すのは不自然な螺旋階段。軽快に駆け上っていってこっちを振り向くと、早く早くと手招きをする。私は促されるまま、女の子の後を追って螺旋階段を駆け上っていった。
長い長い螺旋階段。どれほど上っただろうか、行き着いた先にはごく普通の扉があった。茶色い、木で出来ているであろう扉。
「ここにいるよ。」
変らない笑顔で女の子は扉を指差した。私はためらいなく、その扉を開けた。
中は空っぽの部屋だった。ただ、大きな窓の前に、一人の女性がたっていた。髪の長い女性。くるりとこちらを振り向くと、小さく微笑んだ。
私はそっと彼女に近づいて、彼女も私に近づいた。
「あなたは、私?」
そう問いかけると、彼女はそれを頷きで返してきた。互いにどちらとも無く手を伸ばし、触れ合った瞬間、来ると思った衝撃がこなかった。私は、悔しくて顔を歪めた。
「どちらかが消えてしまうと思ったのに」
「私も」
彼女は私の言葉に、あっさりとそう返した。私自身を少し成長させたような彼女。多少大人びて、髪は胸の辺りまである。私より、少し長いくらいだ。
「私が消えればよかったのに」
悔しげにそう言うと、彼女は優しく言った。
「いまいくつ?」
「17」
彼女の問いかけに、私は答えた。
「あの頃は色々あったわね…」
そう言われて、涙が溢れ出た。わんわんと子供のように泣いた。
どれほど泣いただろう。やっと落ち着いて、私は彼女に尋ねた。
「ねえ、今幸せ?」
彼女は困ったように笑みを浮べるばかりだった…
…
…
…
ふと、目を開けると、いつもの自分の部屋の天井が目に入った。涙が伝い落ちて、枕が濡れていた。夢だったんだ。そう思った。自分より少し年上の自分。不思議な夢だった。リアルで、細かいところまで詳細に覚えていた。それが不思議だった。
このところ、失恋してずっと寝る前に泣いていた。泣きながら、泣きつかれて眠る日が続いていた。大好きだったあの人に、二股をかけられていて、捨てられたのは私のほうだったのだ。
毎日、毎日、振られた日からずっと、何ヶ月も泣きながら眠った。そんな時に、こんな夢をみた。不思議な夢だったな…。本当に私が消えれば良かったのに…。そんなことを思わずにはいられなかった。
彼女は、幸せかどうか聞いたとき、困ったような笑みを浮べていた。きっと幸せではないんだ。私は幸せになれないのかな…。そんなことを思って、また涙が零れてきた。枕に顔を押し当てて、泣き続けた。



